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本文へジャンプ 2008月11日 

Htaoribeの縫製資料館   


(1)日本のアパレル産業とファッションの歴史

(1)日本のアパレル産業とファッションの歴史

 

鎖国社会の中で、初めて洋装をした外人を見たのは、天文18年、1549年の夏の事であったそうです。鹿児島に上陸した、宣教師ザビエル一行の服装がそれである。

カッパ、ジュバン、など日本の服になっている物は、この時、初めて日本の土地を踏んだのです。

明治維新以降、天皇は自らの服を調達し、陸海軍の軍服などを作った。

明治十年、西南の役で東京、大阪などの洋服製造会社に発注。

東京では、明治十四年以降、大阪では、二十年に、「羅紗既製品」が作られた。

婦人服に関しては、大正十三年「東京婦人子供服組合」が出来る。

婦人の洋装化が、進んだ原因として、東京大震災の時、多くの婦人が着物の為、やむなく不幸にあったと言う事実がある。

その為、震災時における活動性が、注目され広まったと言うが、女性の職場進出が、本当の理由かもしれない。

昭和二年に、日本橋三越で、国内初めての、ファッションショーが開かれている。

昭和七年、日本橋の百貨店、現東急日本橋支店の火災で、改めて、女子従業員の洋装が再認識され、制服の支給や、補助金が出された。

大阪では、昭和十四年、「大阪子供服同盟会」から「大阪婦人子供既製服製造工業組合」となっている。

昭和二十六年、戦時中の統制の時代を終え、全繊維製品が、自由販売となりこの年、デュポン社との契約で、東レがナイロンの生産を始める。

昭和二十七年、東京ブラウスが、「シネマ・ドレス」を発表。昭和二十八年、アメリカでのミスユニバースに伊藤絹子が三位に入賞。この頃、ディオールが日本で、発表され、日本のファッション界は、

パリ・モードに傾いていく。日本流行色協会、国際羊毛事務局の発足もこの頃です。

昭和三十四年、児島明子がミス・ユニバース一位となり、日本も洋装の時代に入り、ますます拍車がかかってくる。

リードするのは、百貨店が色々な、企画を発表していった。ディオール亡きあと、世界のファッション界は、新しい、方向性を模索し、プレタポルテの登場となる。

各、百貨店はこぞって海外デザイナーとの契約を初め、合繊メーカーの大頭と合わせ、既製服への足がかりを作っていったのです。

昭和四十年に入ると、VAN、JUNなどのアイビールックなども流行となり一つの流行が、全国的な流行になる程に、全国に広がっていった。パンタロン、ミニなど、まさにメイクファッションであった。

人々は、発表されるデザインやファッションを、こぞって着、流行の波は、全国を駆けめぐったのです。昭和四十二年、既製服メーカーが従来取っていた、企画と卸販売に重点を置いた経営方針から、下請け縫製業者との緊密化を図るため、援助などや専属化の傾向が、出てきたのもこの頃です。

昭和四十三年、にはミニが全盛となり、ニット、やカラーシャツが定着し益々、ファッションの関連企業の発展となっていった。

この頃の、流れはめざましく、一年一年、社会の変化と共に、新しい物が産まれ、そして繰り替えされ、現在のように、多様化されたファッション傾向となってきたのです。

国民一般が洋服の生活を送るようになったのは、第二次大戦後であり、敗戦の中かから、人々は新しい生活を歩みだし、昭和四十年代に、ファッション産業は一気に、花ひらいた感じがするのです。

その頃の流行は、見る物全て新しい物が現れ、新鮮であり、ファッションとは、まさに、このように流行するのかと、面白い時代でした。白と言えば、白。黒と言えば、ホントに日本中が黒に染まった。

ファッションを企画していく人々に取って、多様化した現在では想像を絶する、愉快さが、あったのです。いったい誰が、ファッションを動かしているのかと、皆が興味を持ち、

ユダヤ人の富豪が、決めているとか、色々噂を呼び、業界関係者やデザイナーは、こぞってヨーロッパへ出かけた。

ファッションは、今や洋服だけにとらわれず、生活すべての変化の過程で、多様化し、個性化していく中で、日本の本来持っていた、よさや誇りも複雑化したファッションの中に飲み込まれてしまっているように感じ、華やかさの反面、寂しさも感じるのは、どうしてなのでしょうか。

hataoribe

 

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